大雨時行の候
雷鳴がとどろき、白雨は傍の庭景色さえ隠す



文書を捲っていた手を止め、雷の音が幾分 遠退いたのを確認する
―また直ぐ 日が雲間から差してくるだろう

此の一束に目を通し終えてから一息いれるか と再び手元の文字に目を戻すと、
「失礼致します、―ルキアです」
と、邸に居る筈の義妹の声が扉の向こうより聞こえた


今日は確か非番であった筈だが、一体
しかも雷が鳴っていたというのに…――あの娘の苦手なものを またひとつ知ったのは、ごく数年前のことだ

執務室の入口の戸を開けると、薄暗さに慣れた目に白く烟った景色が滲む
視線を下方へ下げると、彼女の癖のある前髪から雫がひとつ、床へと消えていった


「あの…、御見苦しい格好で申し訳ございません」
そう口を開いた娘は、頭から足先までずぶ濡れで 白藍の絽の着物が浅縹へと色を変えている

「…何用だ」
部屋に入るように促したが、其処から動こうとはしない
手拭を差し出したが 受け取られることは無く、「傘をお届けに来ただけですので…大丈夫です」と抱えていた傘を差し出された
「…」
「今朝、兄様が傘をお持ちでなかったと伺って―」
「そのような…隊舎には備えが何本か、」
肩にかかる髪の先で水滴が脹らんでいくのを見ながら口にした言葉を、私は切れ悪く呑み込んだ
案の定―水分を含んだ絽が纏わり付く所為で、一層 顕わになった肩の線が下がる
「…申し訳ございません…」とのちいさな言葉とともに


雨の音はもう僅かで、余計にふたりのまわりの静寂が増していく


「―悪いとは言っておらぬ」
「!」
子を叱るように少々荒く髪を拭くと、まるで猫のように身を硬くする
私はそれに気付かぬふりをして、逃さぬように毛束を散らす

「傘を持って来た者が、此のような有様とは…」
「…申し訳ございません」
悄気た為か 徐々に大人しくされるがままになってきた
小言以外の言葉を脳裏で探しながら、ちいさく溜息を吐いて口調を変える

「…雷は、どうした」
「―、走ったので、気になりませんでした その所為で此の有様ですが」
「…そうか」
ルキアの口調に、少し拗ねた色を見つけて手の力が抜けた

手拭から開放してやると、慌てて乱れた髪を手櫛で整えている


「…やはり、傘は不要なようです」
ぽつりと言って、ルキアは「何をしに来たのでしょうね」と極り悪そうに私の傘に目を落とす
いつの間にか、雨の気配は其処に既に無く 残された水滴が日を浴びて反射していた


「…否―来た甲斐はあったやもしれぬ」
「?」
直し損ねた後ろの毛を撫でつけながら言うと、私の手に驚いたのか反射的に上を向いた娘の目はそのまま空へと向けられる

「あ…」
「見事なものだな」

先程まで荒れていた空は嘘のように 薄く大きな虹を描いていた

「そう ですね…!」




見上げたのは  その 笑顔






『虹』という種を頂いて、育ててみたところ遅咲きに…(泣)
ぎこちないふたりは書いていて非常に楽しいのですが、口数が少ないのが難点です


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