「に、い…さま」
兄様の表情は、灯りが部屋に無い所為で翳ってしまって 知らない男性のようにみえた
そして私はそのことに酷く恐怖する
真冬なのに、ひんやりと軌跡を残しながら汗が背を伝う
息をする度に、咽喉が乾いて痛みを覚えた
闇のなか 突っ立って向かい合うだけの私達は、第三者から見れば とても滑稽に映ったことだろう
言葉を、動作を、譲り合うように
お互いの出方を探り合うように
沈黙は感覚を気持ち悪くさせる
これ以上は、耐えられなかった
「…っ、急いで おりますので」
そのあとに続く『失礼します』の言葉は口内に貼り付いて出てこなかったが、私は構わず、人形のように微動だにしない兄様の横を一礼しながらすり抜けた
走った ただ、ただ 只管に
呼吸が乱れ、空気がうまく肺を満たさず、きり、きり、きり、と痛んで苦しい
汗が涙のように頬を伝う
何故、何故以前と同じように無理矢理問い質して下さらない
何故、強く命じて下さらない
何故、無茶苦茶な私をお叱りにならない苛立ちを表さない…!
私は勝手だ
非道く、我儘だ
自分から離れていったくせに、逃げた くせに、
総てを兄様に押し付けようとしている
「―――――っ…!」
いつの間にか、汗が本物の涙に変わり、頬と掌に地面の硬さを感じ、捻ったのか足の痛みに気付く
こんなに容易く倒れてしまう
私の足掻きなど、一瞬にして崩してしまう程に、朽木 白哉 という存在は大き過ぎたのだ
十三番隊舎に辿り着くと、浮竹隊長が廊下を此方に歩きながら「朽木、本当に わざわざすまなかった…」と労いの言葉をかけようとしてくれたが、私の様子を見て、ひどく驚いて駆け寄って来られた
「―どうした…?」
掃いきれなかった着物や手に付いた土を拭いながら、幼子に問うような口調で尋ねられる
「何も、」
―白哉兄様は言って下さらなかった 言葉をかけて下さらなかった―
「ただ、」
―此方を見ていただけで 見ていたかも定かでは無い 陰のなかに立っているだけで―
「転んで、それで―…っ」
限界だった 涙は我慢を知らず 無様に頬を汚す
目の前のひとを見上げながら 何かを訴えるように、私は感情を制御する術を持たぬ子ども同然であった
視界が滲んで、瞳に映る全部の輪郭が崩れるのと同時に、体は前方に引き寄せられる
「何が、辛い?朽木…」
先程より耳の近くで問われ、私は自分が浮竹隊長に抱きしめられていることに気付いた
「俺は、お前に何かしてやれるか…?」
この穏やかさに総て委ねることが出来たら 私はどんなに幸せだろう
泣いた為に頭痛がし始めた思考でぼんやりとそんなことを浮かべながら、私は優しい腕のなかで瞳を閉じた
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