「―白哉は、帰ったよ」

食堂で 湯呑を前にぼんやりしていると、浮竹隊長が静かに私の傍に立って告げた
まわりは朝ということもあり、夜勤明けの隊士が数人居るだけだ

「御迷惑をおかけして、本当に 申し訳ございません…」
向き直って謝ると、「いいさ 俺は、だがな 朽木…」と隊長は隣の席に腰を下ろす
「決めたことですから」
隊長の言葉を遮って返せば、困った表情で口元に手を当てながら、ちいさく溜息を吐かれる
「それにこれ以上、此処で―隊長に甘え続けるわけにもいきません」
「…俺としては こんなかたちになるよりは、甘えて欲しいと思うけれどな」
その言葉に、つい 揺らぎそうになって、膝のうえの拳のなかで爪をたてる

「あのような、理由があったとしても ですか?」
「―…」
「前々から少なからず噂もありましたから、御存知かと思っていました」
半ば自嘲気味に言うと、浮竹隊長は傷付いたような顔をした

だけれど、おおきな手が私の頭に伸びてきて
「―それでも だ」と力強く言われた

出てきそうになった涙を隠そうと、もう一度頭を下げる
「―あと少しの間、お世話になります」
「…ああ 宜しくお願いするよ」

このひとのあたたかな優しさは、私の我儘な部分を 残酷なほど浮き彫りにすると思った
けれど、それが無ければ 私はきっと決心が付かなかったのだろう とも思った








「ルキア様…!」

荷をまとめようと、朽木の邸へ行くと 清家殿がらしくない慌てた様子で―常ならば、清家殿でも男性は兄様以外 私の部屋へは立ち入れないことになっているのだが、私付きの女中を伴って来られた

「突然 このようなことを決めてしまって、大変 申し訳ございません」
着物を整理していた手をとめて 頭を下げた
「いえ それは…ですが、」
「あの…白哉兄様は」
「…それが、今朝 早くからお出かけになられて…」
「そうですか…」
このあいだのことはあったが せめて かたちだけでも 挨拶は…と思いながら、傍に出してあった 楝の地に桜が舞う兄様の御好みであった振袖にそっと触れる これは持っては行けない
持ち物は、代えの死覇装が数枚といった少ないものなのに、いざ 整理しようとすると、どうしてもそれにまつわる感情が、作業をゆるやかなものにする


「…ルキア様 此処はいつでも 貴女の帰るところでございます」
ぽつり と独り言のように、広すぎる部屋を見回しながら言われる清家殿の眼差しはとても あたたかい
「清家殿…」
「十年…でございましたか? 御待ちしております故」

そう 淋しげに微笑む清家殿に、私は御礼を言いながら ちいさく何度目かの謝罪を告げた




荷をまとめ終えて、最後に向かったのは仏間だった
ゆらゆら と絶やされることの無い蝋燭の灯りが、冬の室内をあたたかくしている
朽木の歴代の当主をはじめとした何十人もの遺影のなかに、そのひとはひっそりと此方に向かって微笑んでいた

「…―緋真 姉様」
まだ 呼び慣れない名前 私の記憶のなかには生きることの無い 私の、実の姉

「ごめんなさい…」
何に対してのものかは、私もわからないけれど
私の言わんとすることを すべてを知っているかのように、かすかにその微笑む目元が蝋燭の灯りの所為で滲んでみえた







冬の 重たい空から、どこからか鳥の叫ぶような鳴き声が聞こえる
羽の音はどんどん 高く 高く、空に溶けて消えていく―…













  進(夢籠へ)


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